伊倉の石造物
庚申塚Ⅰ:親子松
綾羅木村と伊倉村との境には、庚申塚があり、かって三本の松の木があったという。松の木のよりそった格好が、人間の親子のように見受けられることから、親子松と呼ばれていた。
この一帯は、今では想像もできないような風景でした。田んぼの中を細い曲がりくねった道が通り、夜ともなれば真っ暗になって、全くさびしい場所でした。狐や狸、いたちなどの動物も多く、川中の人口より多いくらいでした。
そんな中で、三本の松が庚申塚を守るように枝を広げていました。大きな松がお父さん松、二番目の松がお母さん松、その間の小さな松が子ども松、ちょうど親子のようでしたの、誰ともなく「親子松」と呼んでいました。親子松周辺は、子ども達のよき遊び場所で、子どもたちはヤブの中に小鳥を捕るわなを仕掛け、学校帰りに見廻るのを日課としていました。また、親子松は村人のコミュニティの場でもあり、この道を通る村人はこの松の根本で休むのが常でした。このような親子松は長く川中の人々に親しまれてきました。現在の親子松は、初代が枯れたため、有志の方が植え替えた二代目です。
【民話】
とんと、むかしのものがたり、綾羅木村と伊倉村との境にある庚申塚に、仲の良い三本の松が大きく枝を広げておりました。よりそった松のすがたが、ちょうど人間の親子のようにほほえましくみえるので村人の誰言うとなく「ありゃ、親子松じゃ。」とよんで、大切にしておったそうな。
さてさて、綾羅木村にすむ与作と吾一。隣村の伊倉の里の祝言に招かれたその晩遅くの帰り道。二人がそろそろ親子松にさしかかったころ。「うんにゃ!そげぇなはなしがあってたまるもんかい。吾一やもしも狐がでたら、わしが退治してやるけん、しんぱいせんでええっちゃ!それより折り詰めがおもとうなったけん、はよう親子松でひとやすみしような!!」
ほろ酔い気分の二人連れ。あっちへふらり、こっちへふらり。「与作……。 お、おまえのちょうちん、ついたりきえたりしちょるけど、お狐さんがついてきたんとちがうんかい?」「吾一、おまえ、それでも男か。弱虫男じゃ。ほれ、ひとやすみ、ひとやすみ。」大きな松のねもとに、どっかりこしを下ろした与作と吾一。
「やい、吾一。狐なんかでんじゃったろうが。わしの折り詰めをみてみ。ほら、ありゃ、りゃ ?ない!ない!ない! なんてこっちゃ。」「与作、わしもない。たしかにしっかり折り詰めをにぎとったんじゃが、やっぱりないわ。」大きな口をあんぐりあけたまんまの与作と吾一。はるかとおくをかけていく母と子の狐を、しっているのはお月さまと親子松ばかり。
こうしてそののちも、親子松のあたりで、おなかをすかしたあかちゃん狐や狸やいたちが村人たちから折り詰めをちょうだいしていったそうな。
ここ、川中地区に人間さまのかずより狐や狸やいたちが、たあんと多くすんでいたころの、本当のお話。