川中地区散策Ⅵ

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散策の道 垢田①

垢田八幡宮

 御祭神として応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の御三方を奉り、斎田は宮田といって今の川中会館の辺りにありました。
 この神社の創建年月日は不詳なれど古く、祭神は犯すべからざる霊験があり、里人の尊崇を集めただけでなく、遠く山形、福井、福島、鳥取、山梨、島根、和歌山の人まで拝め尊んだと言われます。
 拝殿の天井に書かれた絵画と、柱に掛かっている龍の彫刻は、古宮のものをそのまま伝えたものといわれ、両方とも精緻を極めた、類のない逸品と折り紙をつけられています。

 ・境内末社 天之御中主神社(俗稱妙見社、天之御中主神、素盞鳴命)  
       貴布禰神社(保食神、高龗神、闇龗神)

 < 天之御中主神社御由緒 >
 妙見社は初め、黒崎に在り、俗に黒崎妙見ともいわれた、海上航行の船から望見されるところにあったので通航の時は、帆を三合下げて、挨拶をしていた、この事を怠ると忽ち難破、座礁という椿事に出会うので、正徳五年(1715年江戸時代)の夏、藩へ願い出て、「堀」という土地に遷座し、のち明治39年八月、内務省の指示により、この地に移した。

散策の道 垢田②

海蔵寺 (垢田町3丁目)

 黄檗宗万福寺派に属し、山号霊光山。本尊は聖観世音菩薩。
享保九年(一七二四年)七月創建。
 本尊は聖観世音菩薩。「村浦明細書」(1858年)に「海蔵寺 唐派」とある。
 かつて垢田村の字海蔵という、いまの五十嵐氏宅付近に天台宗の無柱の一庵があって、海蔵庵と称した。あるとき貞梁という名の僧が、行脚の途中にこの庵で一泊した際、仏像に霊感を得たので、この旨を土地の長者の熊野源左衛エ門に話し、その援助を得て海蔵庵を再興したのが海蔵寺の由来であるという。
 今の堂宇は享保九年(1724年)の建立で、本尊は秘仏とされ、内陣深くに秘蔵されている。

海蔵寺木造聖観音菩薩立像(下関市指定文化財)

 昭和六十三年六月十五日下関市指定有形文化財(彫刻
像高159.5センチメートル
 海蔵寺には、古文書、古記録などは残っていないが、
防長社寺由来によれば「海蔵寺の儀は往古より古跡と申来り本尊観音太子の丸木作と申し伝え候、元和元年(1615年)より己前は難相知」と見え、古くから観音像があったことがわかります。
 この観音像は楠材で、頭部、体部、及び右手、左手の肘より上膊部をふくめて一材から彫出され、頭部、体部には深い内刳が施された一本造りです。顔面は後世に手直しされたと思われますが鼻筋は秀れて通り、鼻梁は高いことなど、鼻から口元までの作りは、当初の面影をよく遺していると思われます。体軀は量感にとみ、肉付きのよい肩張りや、誇張された腹部の張り出しは平安時代初期の特徴をよく伝えています。
 制作年代は、十世紀から十一世紀ごろと見られ、下関では最も古い仏像です。

 

散策の道 垢田③

厄神社(垢田町三丁目)

 祇園社が八幡に合祀されてから厄神は公会堂に安置されていたが、大正年間にチフスの大流行があり、厄除けの神様として八幡社の木を伐り、今の地にお室を建てて祀ったもので毎年五月二十一日と九月十七日に、海蔵寺の住職にお経をあげてもらい、手料理でおこもりをする。

喜佐方丸遭難慰霊碑
新垢田北町)

 明治四十二年十一月二十九日に大連から大豆を積んで帰航中に蓋島の近海で座礁して沈没した貨物船第二喜佐方丸(三千トン)の乗組員慰霊の石碑である。乗組員・乗客を含め八十余人が遭難した。

恵比須社
(新垢田北町)
 
 明治三十六年四月二日に垢田浦漁業組合が創立されたが、漁業はもっぱら農家の農閑期の仕事であった。豊漁と海上安全を祈願する浦恵比須社が設けられた。 

 

 

散策の道 垢田④

垢田の地蔵群 

  垢田にも地蔵が七ヵ所あり、八月の地蔵祭りには、小学生が海から砂や、小石を運び、盆提灯をたくさん並べ灯をともし、大人も参る。その時の賽銭は、子どもに与えられるという、慣わしが残っています。 
 但し、昨今は子ども達の人数が年々減少していき、一部のお地蔵様にだけ行われています。
 垢田のお地蔵さまは、地区の大人の人達に大事にされ、今もお供え物やお花の絶えたことがありません。

 
 【おはなし】

 垢田地区には、七か所のお地蔵さまがあります。そして、どの地蔵さまも、いいお顔をして、しかも可愛らしい前掛けをしておられます。 
 これは、幼児を失った母親が、わが子を愛おしみながら、悲しみの涙で縫い上げた前掛けなのです。
 幼い子をなくした母親たちは、前掛けを縫い、わが子の名前や年齢を書きつけて、お地蔵さまにそれを掛けて、夭折した幼子を弔うのです。
 毎年八月二十四日には、お地蔵さまの祭りをします。垢田の地蔵祭りは、子ども達が主役です。子ども達は、海から砂や小石を運んできてお地蔵さまを清めます。それから盆提灯をたくさん並べ、お花やお菓子をお供えします。
 準備万端整って、盆提灯に灯を入れるころになると、子ども達は、それぞれの地区のお地蔵さまに、交替でお参りをします。
 どの地区の子ども達も、お小遣いを出し合って、花火を買ったり、福引を作ったりしてお参りに来た他地区の人達を接待します。それが、子ども達の何よりの楽しみです。こうして、垢田の地蔵祭りは夕方遅くまで子どもたちの歓声に包まれるのです。勿論、後片付けも子ども達でしますが、その日集まったお賽銭は、子ども達に分け与えられます。
 このようにして垢田地区の地蔵祭りは、地方色豊かな温もりのある子ども達の祭りとして受け継がれています。

 

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